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★「佐山原理 新生武士道 真陰」
佐山原理 新生武士道 真陰

■著者:佐山サトル/著 フル・コム/編
■仕様:A5判、200頁、DVD付
■料金:2,940円(税込)
■発売:2010/2/24

初代タイガーマスク・佐山サトルが君に不動心を植えつける!!
日本人の精神はなぜ弱体化したのか。どうしたら強くなるのか。その理論だけでなく、具体的 な強化法を紹介した、佐山サトル渾身の極意書!
DVDには内環変換法、呼吸リセット法 、変性意識下の言霊導入法実演、掣圏真陰流の実演紹介などを収録。

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特殊武道 掣圏

格闘技人生の中ですでに二十年以上も前に、技術の追及は完了していた。

武道に目覚め、至高の意思をもって創始して来たが、その大半は精神の追及のみに徹している。
武道の真実は精神力であるからだ。
他のものとは比べ物にならない。

日本の精神基底をも左右させるものだからである。
競技は人間形成に伴う手段の一つに過ぎません。

義や礼儀を重んじ人格を構築するものでなければ、形だけのものになってしまいます。
大事なのは、その武道が持つ原理を学ぶことです。

掣圏の精神術は、世界でも類を見ないものでしょう。

心を科学し自己精神に深く眠る活力の源、歴史を紐解き、「こう生きなさい(原理原則)」を不動心に紐解き、原理を導き出したスーパー武道なのです。

「仁」や「義」を信じた心は原理となり、いついかなる時にも、弱化に響かない不動の心となります。

また武道として精神術を学ぶことにより、不動を生かせるようになります。

どこへ行こうと生理的に堂々としていられるのです。

日本武士道の叡智と歴史を基に創造し、史上最高の精神武道として、高いメソッドが構築されたものが掣圏です。



 

原理原則
世界が啓蒙して来た中、封建性や差別観念は淘汰され、今、新しい観念の中「こう生きなさい」という原則は絶対必要なものです。

武道は宗教ではありません、不動心の軸を造るものです。


道幸氏との「リアル不動心セミナー」では、その一部を垣間見た方々に、ここまで実戦的なのかという意見をいただきます。


強い心を身につけるには、男女、大人子供に関係なく万人が学べ、自己人格を得るでしょう。

心の強さは、温和な優しさを意味する生理的な許容範囲が、どこまでも広いことなのです。

武道の本質です。




神経強化法

私達は連想の連鎖から、瞬時に、思いや、感情や、情動を湧き出させる神経体です。

自己にしまわれている連想によって心は連鎖し反応するのです。

弱さとは、ネガティブに導かれる反応体質?
強さとは、ポジティブに導かれる反応体質?

ポジティブに反応する者でも、弱さは簡単に表れ、また、その逆もあります。

弱さはプレッシャーや不安に対する神経の反射であり、人(神経体)がプレッシャーに追い込まれるのは、神経過敏な自律神経の不安定な精神状態にあるからです。

では何があっても不動心を得るには?

優雅な不動人格を構築する。
生理的訓練をする(自律神経訓練)。
強制施術(自己暗示)をする。

簡単なことです。

無意識に眠る大きな領域に、自己が持つ「普遍的無意識」があります。

育った環境の自己形成ですが、弱さにヒビかないように、常にホメオシタシスが働いています。
自己我欲の正統な分野となって、群れ意識を造り出しているのです。

神経が反応するのは自律神経です。

シュルツ博士の自律神経強化法というのが有名ですが、禅や瞑想と同じ効果です。

禅では無の状態、瞑想ではトランス状態となります。

実際に導くには経験が必要ですが、シュルツ式は西洋の禅と言ってもよいでしょう。

博士は催眠状態になった状況を反対に運動させて、自己催眠法を考案しました。

逆に言えば催眠というのは、強烈な自律神経強化法であり、強烈な禅や瞑想なのです。
私が催眠を行うことはご存じでしょう。
それは催眠術ではなく、催眠法を独自に開発しているものなのです。

催眠法とは無意識の領域に作用させ、武道なら弱さにヒビかない整理的なコントロールをします。

その昔、命を賭す事に、侍が行っていた禅と同じものを、さらに変化させた革命的なものなのです。




普遍的無意識強化法(国)

伊達政宗は国のあり方について、自らの五常訓を用い、「仁」に過ぎれば柔らかくなり、「義」に過ぎれば固くなると説いきました。


現代で解りやすく言えば、仁とは『フリー主義』、義とは「こう生きなさい」の『原理主義』でしょう。

日本が抱えている問題の根本に、精神基底が無くなったことがあります。

正義を語ってはならない、最低限のルールさえあれば良い?

これで世の中が、大きくフリーに傾いたのです。

原理無き『フリー主義』というものがそうさせているのです。

これが先進国の思想だと思っている人が多いことが問題なのです。

世界の実態は原理あっての『フリー主義』です。

確かに原理は人を構築させるものですが、怖いものでもあります。

使い方を間違えると大変な事になります。

伊達政宗が言うように、両方のバランスが重要なのです。

武士道は「切腹」を原則にまでして、封建制を強固にしてきました。

「こう生きる」ために切腹があるのか、罰として切腹があるのか、
いずれにせよ戦闘集団として、この原則を用いても封建制が強くなるだけで、国としては弱化へ向かった時代もありました。
現代は戦間期です。

明治から昭和中期は戦闘期であり冷戦期でもありました。
戦間期に生きる我々は原則を間違えてはなりません。

自由と民主主義の中、バランスを保ちながら生きなくてはならないのです。

全ての宗教に共通するゴールドルールというものがあります。
人に迷惑をかけないという原則です。

それでもなぜ戦争をするのでしょうか?

未熟な普遍的意識のぶつかり合いだからです。

これは宗教に限ったものではありません。
経済的な戦略も政治的な戦略もあるでしょう。

世界の連鎖関係はどう動くかわかりません。
柔らかすぎて何も出来なくなった主義国家でも、他に攻められれば戦うしかない場合もあります。
戦争のことだけではありません。

日本は外交に弱い?当然の事なのです。

戦争は外交交渉での最終手段ですが、国民意識と体制が無ければ、全ての事前交渉で負ける事になるのです。

政治が悪い?


私を含め大衆が悪いのです。
陽明学では、大衆は普段の生活が大変で、大観的には愚衆であるとします。

批判する前に、あの政党を選んだのは誰なのでしょうか?
それを導いたのは何の勢力だったのでしょうか?
大衆操作に媚びない情報が必要なのです。

これを読める人が本当のエリートという人達で、国を動かす人なのです。
動かさなくてもいいですから、味方くらいになってはいかがでしょう。

後に、歴史改ざんされる満州事変での弱腰外交と、情報操作によって導かれた日中戦争。
導かれた大東亜戦争。

何を学び何を将来に向かって行わなくてならないか、答えは出ています。
我々は真実をつかみ、把握しなくては将来がありません。
広く世界に視野を広げるのです。

今の東アジアは、世界でも三番か四番目に危ない地域だと知っている日本人は、どの位いるでしょうか?
自由は大切な宝物ですが、過ぎれば柔らかくもなり弱くもなります。
では強さとは何でしょうか?

ブレないことです。
何があっても生理的に動じず、広く視野を持てる精神状況。

視野が狭まればブレて、他に何も思考できず、身体も心も縮み、状況打破も行動もできなくなる。
大切なのは不動心なのです。

国家もそうなるべきです。

強さの中に優しさが住居する姿に、徳を持つ者となる者を育てるのです。
「最低限のルールさえあれば」では出来ない人間形成なのです。
私はこれが陽明学だと思うし、国に置き換えてみると面白いでしょう。
何故日本だけが、フリー思想となって押しつけられたのか。

戦後、宗教や思想、武勇を誇る劇や歌まで検疫を受け、戦前に欧米を非難した本は、
ことごとく焚書にされ歴史も消されました。

武道や相撲をはじめ、武勇を誇るものも全てが禁止にされ、民主主義を普及させると
称し、フリー思想を植え付けられていきました。

昭和20年の戦後から、サンフランシスコ講和条約が施行される、昭和27年4月28日までの約6年半に、何が行われ50年代までにどのような教育を受けたかを知り、呪縛を取らなくては国が滅びるのは目に見えています。
日本は世界と違う、特殊な国と見られています。

壊れた自動販売機とも言われ、叩けばいくらでも金が出てくると思われているのです。
こんな国は世界でもありません。

世界は日本が目覚めるのが怖いのです。

戦争ではありません。一つの正当なる国家としてです。
日本こそが眠れる獅子なのです。

ただし、バランスをとっての事です。
戦後の日本にはプロレタリア思想に育まれた平等主義と、同じ思想で東から米国に渡った思想とが、混合して持ち込まれて来ていたのです。
これが終戦時GHQの正体であり、このことを知る日本人はあまりいません。

民主主義を与えると称しながら、フリー思想派が東西から日本に来ていたのです。
彼等は儒教など「こう生きなさい」を徹底的に嫌いました。

「正義はこうだ」を敵対視するのです。

平等を与えるではなく、彼らの思想だったのです。

正義を語ったから戦争になった?正義があるから差別が起こる?正義があるからキレる?
しかしそれは世界の思想ではありません。

私が見たキリスト教徒は、悪さをしたら子供でも叩いていました。
質実剛健 男は男らしく、女は女らしくもダメだというのです。
例えば、女らしい男や、男らしい女がいてもいいじゃないかとします。
型にはめての差別をしてはならないというのです。

生理的に男女の区別において、様々な体質があるのは当然で、差別するのはもってのほかですが、彼らの思想の目的は違うところにありました。
それは社会的環境がそうさせた、原点は全ての差別撤廃なのです。



プロレタリア革命の原型であるボルシェビキやメインシェビキは、原理主義が固まっていた当時の価値観から、世の中を啓蒙させるには、脅威の革命でした。


ちなみに、日露戦争でロシア帝国と戦った日本は、密かにその革命軍を応援して、正規軍を東に集結させない作戦をとりました。

彼らは自由平等博愛を社会化現象にまでして、社会を変えようとしたのです。

世界がその価値観に達した後、それがどう国に影響を及ぼすかまでは、考えられなかったは当然でしょう。
対し、キリスト教などの原理主義者の人々は、自由平等博愛は啓蒙しても、今でも人としての「らしさ」を取ることを一切認めません。


アメリカでキリスト教原理主義者は約四千万人、福音派を含め、他の宗教者は全人口の86%、

米国でフリー主義をかかげ奇抜な格好をして、反戦や同性愛を謳うデモを、日本のテレビで見かけたことがあると思いますが、
無宗教者はわずか16パーセントに過ぎないのです。

一方、原理主義団体によるデモはそれ以上に凄く、反同性愛や堕胎にも反対していて、
ちゃんとした服装で行進するデモがあります。

日本のマスコミと言えば?

前者を強調し、個人思想として世界はこう動いていると錯覚させています。

何の力が働いているのでしょうか?
いかに我々がコントロールされているかがわかります。

ロシア革命を成功させた、共産党の前身ボルシェビキやメインシェビキでは、全てを平等とする偉大な改革でした。
差別思想甚だしい帝国主義全盛の時代には優れたものだったのです。

その前にフランス革命を成し遂げたのも、同じ原点のルソーの思想です。

宗教はいらない、男女の格差もいらない、家族構成や習慣さえいらない、母親は父親の奴隷ではない。家事も男がやるべきだというものです。
ロシア革命を成功させたルカーチはハンガリーに帰り、当時のキリスト教規範の厳しい中、女子高生達に性の解放まで行いました。
いったいどこからその思想は来ているのでしょうか?

若狭先生の本を見ればすぐに解ります。

現代日本に流れる潮流とは何か?

何がこの国を動かしているのか?

もちろん我々はつかんでいます。


では、『フリー主義』と『原理主義』の間は無いのか?

あります。

フランス革命以降、キリスト教などの啓蒙思想は中道に移行して来ました。

彼等は毎週日曜日に教会へ行き、御祈りの後、説教を受け、挨拶の仕方や人を助けることや、殺してはならない、犯してはならない、盗んではならない等の教義を受け、きちんとした精神基底を持っていました。
フランス革命、南北戦争、大東亜戦争、公民権運動などを経て、その中で啓蒙してきたのです。
平和ボケした現代日本人は、自分達を中道だと思い込んでいますが、実態は精神基底を無くし、フリーを謳う民族なのです。

そう導かれ信じているのです。

悪い国ではありません。

最低のマナーさえあれば自由なのだというフリー思想から、精神基底を取り戻しましょう。
そしてバランスを大切にしましょう。

性悪説の一神教は、神を最上に置き、全ての民はその下に平等であり横社会となる仕組みです。
一方、性善説の我々は社会が人を造る構造です。

人間社会がしっかりして、縦に構造しなければ崩れてしまいます。

ただし、下の者が上の者を敬い過ぎるのは、本当の儒教の思想ではありません。
上の者が下の者を敬い育てて行くのです。

反対なのです。

これに対し、下の者は上を尊敬するのです。

日本は神を信じず教義を受けていないにも関わらず、一神教を真似て横社会をふるまいます。
「こう生きなさい」がなくなり、「最低限のマナーさえあれば」では、構成が出来るわけがないのです。

いじめ?モンスターペアレンツ?上層階級の不良?
社会が崩れるのは当然です。



現在、世界は『フリー主義』と『原理主義』の狭間にあります。


65億分の1億を支え生きていく哲学を、いったいどれくらいの占領政策を受けた日本人が、理解しているのでしょうか?

昭和30年代、40年代の教育を受けた、今の50代60代の人が影響された教育は、戦勝国が押し付けた占領政策による歴史観と、それに伴い同調された思想なのです。


新しい歴史観は全く変わっているのに、そのことを知らないこの人達が、必死で論じ
る戦争史観と、フリー主義思想の姿は滑稽に映り、一刻も早く呪縛を取り払わなくならないと思うのは私だけでしょうか?


武士道とは何かを突き詰めることは至難の業です。

明治に新渡戸が書したように、武士道はそれ以来無くなったのでしょうか?

武士軍団が巨大化するにつれ、その軍事態勢を堅持するために、規律を造り上下関係を重んじ、様々なルールが生まれて来ました。

ようするに、我が国の軍事文化となったのです。

朝廷があったおかげで、無頼のバイキングのような主義は生まれませんでした。


軍事政権はその体制を守るために法を整え、江戸に入ると朱子学を用い確固なものにして、一般の規範にも浸透させて来ました。


朱子学とは「格物窮理(カクブツキュウリ)」として、それぞれの事物には各自の

「理」(真理を形成するもの) がそなわっているとするものです。


「理を窮めるには、自分の心の理を窮めることともに、事物の理も窮めることである」と説くものです。


封建制の確立と、それに伴う処罰が体制側にも厳しく行われ、世の太平を維持させるには、もってこいの物だったでしょう。


しかし元々儒教の思想はそれとは違います。


儒学の基本「五常の徳」は、徳をもって国を治めるという、当時のリベラルかつ原理思想です。


孔子は「仁」と「礼」を説き、孟子が「仁義礼智」の四つを説き、さらに漢の董仲舒がこれに信を加え、「五常」を確立しました。


宋の時代に確立された朱子学は儒学の一派ですが、儒学本来の思想とは全く異なったものだったのです。


これに対し、真理は人の中にあると、真っ向から対立したのが陽明学です。


これらは一神教の規範にも共通する原理主義的なものとも共通し、武士道を通じて性善説である我々の基底に染み込んでくるものです。


現代においての武士道とは何を意味するのか

強さの事ではありません。


人として社会を生き、その普遍性が他の国にも対等かつ、相互に尊敬しあえる精神基底のことです。


勿論、現代に生きる以上、その昔、武士政権を堅持するために、封建制に固められた朱子学一変等の思想ではありません。


義に優れ、揺るがず、礼儀正しく、


人として優雅、人間として勇者、社会人として行動の、ゼネラリストを造る事が、私の松下村塾の使命であると考えます。


歴史を紐解き、武士道の真実を解き明かし、武士が生まれた経緯や、その後どう変化したかを見聞するだけではなく、現代社会に適応する人間を造るのです。


そもそも日本という国家や民族とは、どう生まれ育って来たかを探らなくては、最高のものは出来ません。

王権を崇め、仏教を取り入れ、儒教や朱子学を学び、フリー主義を取り入れ、迷いに迷う現代日本。


精神基底とはどうあるべきか?

武道はどこへ進むべきなのか?


事物の全てを網羅してから、未来へ繋がる自由民主国家の確率へ導く、武道を創らなくてはならないと思考します。


佐山聡として、史上にも類のない完璧なものを仕上げなければ、過去と未来で歴史への責任を果たせません。

私の本心です。

真樹先生のご逝去を悼み、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

梶原一騎先生を通じて、お付き合いを始めさせていただき、梶原先生が亡くなられた後は、梶原先生以上に深く長く、お付き合いをさせていただきましたので、大変残念です。心よりお悔み申し上げます。

真樹先生は、天国でも空手をされていると思います。

上越 林泉寺[毘沙門天]より

初代タイガーマスク 佐山サトル